Walls & Bridges
- Cielo

- 2021年8月8日
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『本展でご紹介する5人は、表現へといたる情熱の力によって、自らを取巻く障壁を、展望を可能にする橋へと変え得たつくり手でした。彼らにとっての表現とは、「よりよく生きる」ために必要な行為であり、生きる糧として、なくてはならないものだったのです。』
(東京都美術館公式サイトよりの引用)

増山たづ子さんは、やがて沈みゆく運命にある自分の村の記録を残そうと60歳の時に手にしたピッカリコニカで、88歳で亡くなるまでになんと10万カットもの写真を撮り、600冊のアルバムを残した。会場では、たづ子さんの村や写真に対する思いにも触れることができる。

一枚一枚の写真に、たづ子さんの村と村人への思いが詰まっている。村はきしくも、たづ子さんが亡くなった2006年に水没して消滅した。

『自画像 東勝吉 2006年』
東勝吉さんは木こりだった。引退して老人ホームに入り、83歳の時に「何か趣味を」という所長の勧めで絵筆を手にし、以後絵の世界に没頭。99歳で亡くなるまでに100点余の水彩画を描いた。要介護2で外出もままならず、撮ってもらった写真を元に世界を膨らませた。

『小田池と山下湖付近「倉本」』

『鈴懸の径』
ズビニェク・セカルさんはチェコのプラハに生まれた。反ナチス運動に関わって投獄され、強制収容所に入れられた。そして、40歳を過ぎてから彫刻に取り組んだ。

『想像上の動物 ズビニェク・セカル 1989』

『お願いだから、もうやめて ズビニェク・セカル 1966』

『白い十字架 ズビニェク・セカル 1982』
なぜか背筋がピンとなる、研ぎ澄まされた空気。
冒頭の引用文を再びみてみる。
『彼らにとっての表現とは、「よりよく生きる」ために必要な行為であり、生きる糧として、なくてはならないものだったのです』
「よりよく生きる」ってなんだろう。
「生きる糧として、なくてはならないもの」
美術館の紹介文にケチつける気はないが。この三人は何も、よりよく生きよう」とか
そんなことのために絵を描いたり写真撮ったり彫刻したりはしてないんじゃないだろうか。(あとの二人もそうだけど)
「生きる糧」にもなんとなく違和感がある。
彼らにとって表現は「生きること」そのものでり、自分の生を生きただけではないのか。
生きる=表現する だから。
でもこの展覧会は、行ってみる価値あり。
いいたかったのは、それ。



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